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ペギー葉山

ペギー葉山 訃報。

↓ 「南国土佐を後にして」1959。元軍歌?とは今回検索するまで知らず。

個人的には子供の頃テレビまだない時期 ラジオからよく流れてくるのを初めて憶えた歌の1つで(もう1つは北原謙二「若いふたり」) ある意味「歌謡曲」の原風景の一角。

 

↓「ラ・ノビア」1962。テレビでいろんな人が唄っていたが持ち歌としてはこの人か。

元々チリの歌と初知り。世界中で大ヒットの由。当時曲名「アベ・マリア」と誤認。

 

↓「ドミノ」1952デビュー曲(c/w「火の接吻」)。耳に憶えある名曲。

↓ 「火の接吻」こちらも何となく憶えあるような… 劣らず佳曲。

60年代 伊東ゆかり 布施明 始めカンツォーネ風歌謡曲が普通にあったが 50年台初頭のデビュー曲からそうだったこの人が嚆矢か。

 

↓「学生時代」1964。「ドレミの歌」とともにほとんど国民的普及歌の印象。

大学は出ていないからと「大学時代」から変えた由で大ヒットに繋がり正解かも。

 

↓「爪」1964 「学生…」と同年で詞曲も同じ平岡精二。一聴カバー曲かと。

この曲もむしろ他歌手がよく唄っていたイメージだが本来持ち歌と初認識。

 

自ら訳詞(と言うよりほぼオリジナル?)の「ドレミの歌」(1961)意外と歌唱映像ないがこれ ↓ は「南国…」歌碑記念野外ライブの模様で同曲含め3曲披露。

単なる「作詞兼務」でなくブロードウェーで『サウンド・オブ・ミュージック』観劇して感動しその場でレコード買いすぐ1番を書いたと言う先見性凄し。

 

 

進駐軍廻りジャズ歌手出身としては中尾ミエ 伊東ゆかり らに遥か先だつ存在で他の歌謡曲歌手とはどこか違う雰囲気を持ち続けた気がするが(風貌と芸名からハーフかと思っていた時期あり) こうして俯瞰すると意外なほどにも流行歌史の重要な局面を担ってきた偉才と改めて実感。

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ご冥福を祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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