狩久『裸舞&裸婦於符真&贋』

狩久『裸舞&裸婦於符真&贋』(『狩久全集』第六巻所収)を読む。

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たしかにメタが入ってる。たしかにその点が狩ファンからすると非常に興味深くはある。だがメタといっても狩久というマイナーといわざるをえない作家──敢えてそう呼ぶが──のプライベートと、あとは晩年の発表舞台『幻影城』誌の編集長との絡みという極めて狭い範囲が主舞台なので、その〈メタ〉の部分だけに興味を突き詰めても「狩久にはほんとに愛人がいたのか」とか「島崎博(※作中では全人物に名前がない)はほんとにあんなに温和な感じなのか」なんていう割と〈どうでもいい〉ことしか問題にならない(いや勿論愛人問題も島崎氏の性格も大事ではあるが)。それよりむしろこの作品のキモはここで作者が開陳している世界(およびそのための筆致)の「とらえどころのなさ」にある、と個人的には思う。これだけはここで明かしても差し支えないと思うが──というより差し支えないことに〈する〉が──中篇「らいふ&です・おぶ・Q&ナイン」は結果的にこの作品の一部になっている。「結果的に」というのは作者は当初はそうするつもりじゃなかった(つまり単独中篇のつもりだった)らしいからだが、白状するとその「らいふ&…」が嘗て『幻影城』に掲載されたのを読んだとき、そのあまりのTDN(=とらえどころがない)ぶりに唖然としたのだった。だがそれがこの長篇の一部に組み込まれたということになれば、なんらかの「とらえどころ」が多少とも加えられるかもしれないとひそかに期待したが、今最後まで読んだ結果は相変わらずTDNだ。これは個人的には最近では『ヴィーナスの命題』(真木武志)と並んで、いやそれ以上のWWN(=わけがわからない)な小説だ。とにかくあらゆる意味で人を食ってる。ルイス・キャロルの不思議の国に紛れ込んだようなナンセンスとおふざけの連続。しかもそれでいていかにも意味ありげだから尚更始末が悪い。例えばどんなふうに、ってのはここでは敢えていうまい。この作品に関する限りそんな例示自体がネタバレになるし、何より勿体ないというものだ。答えや意味を急ぐ必要はまるでないし、意味なんて考えること自体野暮だ。この奇矯さこの変てこさを呆れ笑い楽しむのがまず肝心だ。そして全集を読み終えてからあらためてこの幻の遺作に再会するのがいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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