殊能将之

殊能将之で読んだのは『ハサミ男』『黒い仏』『美濃牛』だけだが、とくに『黒い仏』は極めて珍しい作例で個人的に貴重だった。がその一方でこういうのってミステリとしてはどうなんだろうなどと柄にもないことを思ったりもした。どれもそうだが評価というより(評価なんて言葉自体嫌いだが)とにかく面白いこと考える人だなという印象。あと博覧強記とよくいうがそういわれる人は往々にしていわゆる〈イケ好かない〉ことが多いが、この人と京極夏彦はそんな感じがまるでなくてむしろ〈いい人・愉快な人〉のイメージが強く、とくに殊能氏は過剰なまでのユーモアとサービス精神が全てを包含してるようで、作品のみならずネット上の言行までが独特の魅力的異彩を放ってた。訃報を知ったのが神保町東京堂書店ペーパーバックカフェでだったのですぐ講談社文庫コーナーに行くと、未読だった『鏡の中は日曜日』(関連作『樒/榁』との合本)があったので購入、今日のうちに喫茶店を渡り歩いて読みきった、『鏡…』『樒…』ともにノベルスが実家で積ん読のままとはなったが。

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で思った奇妙なこと、それは最近出会った『狩久全集』収録の『裸舞&裸婦於符真&贋』で愈々明確となった『幻影城』以前と以後の狩久の作風の変化(狩自身それをネタにしてる)の理由が、ひょっとして殊能将之にあるんじゃないのか?という妄想だ。つまり〈後期〉の狩は殊能とどこか似てるのだ。つまり筆を折った狩に成り代わって殊能こそが「追放」「虎よ、虎よ、爛々と」「らいふ&です・おぶ・Q&ないん」を発表したんじゃないか。あるいは逆に狩が急逝したふりをして後年殊能として再登場したとか?… とくに殊能氏が元はSFの人だったという話を考慮すると、「追放」が狩唯一のSFであることや「虎」「らいふ」もSFと微妙に関連があることも納得がいく。それに〈どこか似てる〉と書いたがどこかどころか実は共通点は多々ある、巧みなギャグ、やり過ぎの言葉遊び、真摯とフザケの混じった衒学趣味… 勿論繰り返すまでもなく妄想なのは当然の話だが、両者ともそんな不謹慎をも許してくれそうな異才であるのはたしかだと思えるのだ…

それからこれも我田引水なことではあるが、殊能氏が生前〈変態本格ミステリ・ベスト5〉にスレイド『斬首人の復讐』を挙げてくれてる件が忘れがたい。

http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20100608

ただこの『斬首…』は『ヘッドハンター』の続編というか粗筋を入れ子にした作なので、氏が『ヘッド…』のほうは読んでいなかったかもしれない点がやや残念ではある(なぜ残念かはネタに関わるのでいえないが)。がとにかくこの鬼才にスレイドが多少とも認められた?ことは素直に喜びたい。

最後にこれまた個人的なことだが、殊能氏の個人サイト(※今は既にない)の中での記述からある未知の作家に興味を持ち、作品を取り寄せて読み訳出に向けて検討したという経緯が、そう遠くない過去においてある。残念ながらまだ実現という可能性が見える段階にも至っていないので軽々には明かせないが、いずれそんなときがくればいいが…と念じてはいるので、そんなささやかな夢を持てるのも殊能氏のお陰だと思うと──氏自身おいらにとっては最後まで未知の覆面作家でありつづけたにも拘らず──なにか不思議な縁みたいなものを感じずにはいられない。…などというのもまたいつもの手前勝手な言い草ではあるだろうが。

 

 

鏡の中は日曜日 (講談社文庫)

鏡の中は日曜日 (講談社文庫)

ご冥福を祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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