5/6(月)『忠次旅日記』於神保町シアター〈巨匠たちのサイレント映画時代Ⅲ〉
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/silent3.html
S2('27)/日活大将軍/染色/スタンダード/サイレント/1時間14分
■監督・原作・脚本:伊藤大輔■撮影:渡会六蔵(信州血笑篇)、唐澤弘光(御用篇)■出演:大河内傳次郎、伏見直江、沢蘭子、中村英雄、中村吉次、阪本清之助、磯川元春
染色修復され甦った伝説の傑作で、三部作中現存するのは「信州血笑篇」の一部と「御用篇」の大部分のみ。伊藤・大河内コンビによる時代劇の金字塔。
*東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品 |
一般的には国定忠治だがこの映画では〈忠次〉を採ってる。上の図 ↑ は越後長岡( ! )で酒蔵の番頭となって司直の目を逃れているときの忠次で、手にしているものは自分のために犠牲となった酒蔵の娘の簪(かんざし)。このあと娘の父親(酒蔵の主人)も忠次を逃がそうとして捕り方の手にかかる。しかも娘はこの父親自身によって殺されたのだ、忠次への許されぬ恋に狂乱したがために。あまりといえばあまりに悲惨な展開。周囲を全て犠牲にしていく忠次の英雄なるがゆえの罪すぎる末路は凄愴を極め、熱演する大河内の苦悶の表情がそれに輪をかけて凄まじい。また終盤重病で動けない忠次に代わって一家を仕切る愛妾お品を演じた伏見直江が素晴らしい。妖艶さと覚悟を併せ持つ〈姐〉の演技はのちの岩下志麻高島礼子らの遥かな先駆けだろう。
この映画、忠次の描き方はじめいろんな面で当時としては非常に〈斬新〉だったらしいが、今見れば当然ながら十二分以上に〈古い〉。しかしそのあまりの〈古さ〉の珍しさのお陰で最初からを目を奪われっ放しで、しかも中盤からは映画に引き込まれて今度は逆に古さなど感じる暇がなくなっていく。これは先日の内田吐夢『警察官』もそうだが、しかしそれはよくいわれるように「今見ても古くない」とかそういうことじゃない。古いのは確実だがそれを凌駕する〈力〉が映画そのものにあるということだ。
しかし、だ。この作が嘗て『キネ旬』で60年間のオールタイム・ベストに選ばれたとのことだが、映画〈ファン〉とはいえないおいらからするといささか疑問だ。といってもこの作の出来がダメだとかいうことじゃない、3部作の第1部が監督自身によって破棄されしかも残存部(今回見た映像だ)も近年見つかったばかりという、よほどの映画好きでなければ目にする機会のない作品をベストに挙げてしまうという感覚に、〈悪い意味での映画ヲタク〉性が出すぎてるんじゃないかという気がするのだ。例えてみれば、日本国民の9割9分9厘が1度も見たことがないなはずの『放浪記』の舞台によって森光子に〈国民〉栄誉賞が授与されたことと似ている──というのはちょっと違うかもしれないが、とにかくそんなに凄い映画なんだったら(たしかに凄い映画だとは充分思うからこそ)フィルムセンターやこういう特殊な劇場でたまにかかるときしか見れないなんてことにしとかないでソフト化をこそ急ぐべきじゃないのか。そうしないでごく一部の偉い評論家や映画ヲタク(は偉くないか)たちが口先だけでいくら大傑作だといってても、宝の持ち腐れどころかそういう人たちの評価眼自体が怪しく思えてくることにしかなるまい。
…などとわけもわかってない素人が好き勝手な文句をいおうが、長らく失われてたこれだけ古いフィルムを修復し、また活弁と演奏をつけて上映するという、それぞれに関わった人々の大変な努力と熱意の尊さは動じはしないだろう。とくに今日は連休ラスト&本作の最終日ってことで大入り満員、ピアノとMC担当した柳下美恵さんは最後の挨拶時に少し感涙してた。また活弁の片岡一郎さんはほんとに名調子、海外公演や遊学もするインテリらしいがしゃべりは芸人並みかそれ以上に達者だった。
また本作主演の大河内傳次郎というと長い間林家木久翁のモノマネぐらいでしか知らなかったが先年山中貞雄監督作『丹下左膳餘話 百萬両の壺』のDVDで初めて見て今回が2度目。ただ世間では名高いらしい山中作はおいらには退屈で仕方なくゆえに大河内も印象薄で終わったが、今回初めて存在感の強さを実感できた。伊藤大輔という人のはもっと見てみたい、山中はもういいが。
最後に蛇足だが、忠治が長岡に逃亡してたというこの映画の設定は史実的にはどうなんだろう、検索しても大して出てこないことからすると脚本上での方便にとどまる可能性が高そうだが… 連想するのはよくテレビドラマで登場人物の出身地や出張先が新潟だってのがあること。ドラマはほとんど東京舞台だから使いやすいってことだろう、近すぎず遠すぎず且つ有名すぎず無名すぎずで。本作も主舞台が上州だから設定上便利だったにはちがいあるまい。それでも〈造り酒屋〉という特徴が出されてるだけいいといえる、名物・名所・方言など全て無視されるのが新潟のつねだってことからすれば…
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