どうも、タイタスクロウで有名な(笑)菜月顕示です。
というわけで森瀬繚さんから『うちのメイドは不定形2』(森瀬繚・静川龍宗 PHPスマッシュ文庫)をいただきました!
「やったー! おかえりテケリさ…え? くっ…いい意味で、全部裏切られました! 僕は、この物語の真実を知らなさすぎた。それはそうと、新井沢博士…どうかうちにもひとり、テケリさんを(願)。」=帯・黒史郎。解説・鋼屋ジン。
というわけで森瀬さんあっざーっす、あざとーっす!!

- 作者: 森瀬繚,静川龍宗,文倉十
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2013/05/09
- メディア: 文庫
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『狩久全集』第2巻『麻耶子』。
事前に勘違いしていたのは、この巻は狩久の〈麻耶子物〉を中心に編んだ巻かと思っていたこと。しかしそうではなく昭和29年~30年の雑誌および同人誌(「うしろむき」)発表作を主軸にした割と純然たるクロニクルであるようだ。ただたまたまこの頃「麻耶子」「麻矢子の死」をはじめとする〈麻耶子〉関連作が集中していた観がありその点がやはり非常に興味深い。とくに「麻耶子」は嘗て某氏宅を訪問の折狩久作品の初出誌を多数コピーさせてもらいその中からこの作を選んでファンジン『恐怖省』に載せたことがあり(さすがに手書きはせずコピーのまま載せたが)その点で個人的に感慨深い。といっても所謂恐怖・怪奇小説とは全くいえないのだが、語られる物語の悲劇性と情緒には広い意味での恐怖がまざまざと滲出していて強く心惹かれるものがあった。と同時に、いや実のところそれ以上に、とにかく狩久の描く魅惑的な女性像の象徴というか頂点がこの作にはあると思えた。巻末の作者「自解」を引く。「或る意味で記念すべき作であろう。(中略)私が小説を書くことに自信を持ったのはこの頃からであったかも知れない」さらに興味深いのはこの「麻耶子」と「麻矢子の死」が表裏一体の作同士であること。「自解」によれば「麻耶子」は当初「麻矢子の死」のタイトルで発表されるはずだったが編集部からのダメ出しにより全く別の作を新たに書きそれが「麻矢子の死」として発表された。しかし最初に書いたほうも全くのボツ作とはならず同じ年(昭30)に別誌に「麻耶子」と改題(+若干改稿)して掲載された。そしてここが本書の真骨頂だが、その改稿改題前の「麻耶子」第一稿つまり〈幻の「麻矢子の死」〉の生原稿のコピーを巻末に復刻掲載しているのだ! そちらはタイトルは当然「麻矢子の死」となっているが内容は当然「麻耶子」とほぼ同一。ただし登場するのは当然麻耶子ではなく麻矢子だ。…それだけでもこんがらかりそうだがとにかくこの3つの(いや3人の、か)麻耶子(≒麻矢子)の共演(≒競演&競艶)こそは本巻の白眉。1点だけ、生原稿「麻矢子の死」のラスト1行が「麻耶子」のそれとは異なっている、とだけ記すにとどめよう。あと風呂出亜久子(「虎よ、虎よ、爛爛と」で狩ファンを魅了したあのコケティッシュな名探偵)が登場する「黒衣夫人」「呼ぶと逃げる犬」も個人的重要作。麻耶子を陰とすれば亜久子は陽、この2人は対照的なようでいながら表裏の近縁にある。黒衣を纏う亜久子の意外な妖艶さが既に麻耶子との姉妹性を表わしている。概して本書に登場する女性たちのほとんど全てが彼女(or彼女たち)の実は姉妹であるとすらいえ、集中最大の力作且つ傑作と個人的に思う中篇「或る実験」ですらその例外ではない。本書の巻題『麻耶子』はこれ以上なく相応しい。
ところでまた余計なことを書くが…
定本久生 十蘭全集完結、狩久全集発刊、アガサクリスティー攻略作戦完結、既に今年のミステリ界三大ニュースは埋まったも同じだ。
などと記述する者がいる。苦々しい。狩久などマイナーもいいところなとるに足りない作家にすぎない。それをこの機とばかりに「三大」などと空疎に持ちあげてみせる心根は「便乗」という言葉を浮かばせる。今どきはこの名前でもあげとけば俺ってカッチョイイ~~ってわけだ。
おいらははっきりいってこんな全集が出たこと自体さえ苦々しく思ってる。そもそも狩久をミステリ作家だなどと思ったことはないし、ミステリ作家かどうかなんてどうでもいいし、「ミステリファンにもっと広く読まれ愛されてほしい」なんて夢にも思わない。それどころか、こんなうそ寒いやからに「三大」などと持ちあげられたりするような事情になったことに無性に腹が立つ。狩久はおいらの脳内にのみ住んでいればそれでよかったのに、なんでこんなババッチイやつらの手に汚されなきゃならんのだ。全く頭にくる。こんな全集焼き捨ててしまいたいほどだ。…カネがむだになるからんなことしないけどさ。
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