相澤秀禎 / 島津伸男
佐々木功、黛ジュン、西郷輝彦、森田健作、小林幸子、水前寺清子、都はるみ、桜田淳子、松田聖子、岡田有希子、早見優、原田美枝子、酒井法子、川中美幸、牧村三枝子、安達祐実、桜井幸子、浜崎あゆみ、杏、ベッキー、小島よしお、スギちゃん… 60年代御三家の一角西郷から80年代の聖子を頂点とするアイドル絶頂期、さらに60~70の都はるみ・水前寺清子に代表される〈歌謡曲〉としての演歌全盛時代と、相澤秀禎のマネジメント史はそのまま戦後芸能史とイコールだとさえいえる。
↓ 珍しい西郷との1枚。
栄光に満ちている一方で、その何倍もの苦悩を岡田有希子・酒井法子の事件などで背負っていた。松田聖子との確執・絶縁もその一端だが、それに関し興味深いインタビューが某所にあるので、さわりを無断引用する。
相澤「これまで、聖子に対しては「申し訳ない」という気持ちがあったんです。なぜかっていうと、彼女が事務所を離れる時、本人から何度も電話が入ったんですよ。そこで僕が出て話を聞けば円満解決になってたのに、突っぱねちゃった。だから、聖子がひとりになってからの、いろんな噂を聞くとね、悪いことしたなと。その後、一度だけ成城(相澤氏の自宅がある)で会ったことはあるんですけど、よそよそしく挨拶したくらいで。だもんだから、心の中では、いつも聖子に申し訳ないという気持ちだった。だからディナーショーに招待されたときは、「これは行ってあげなくちゃ」って」
──聖子さんがステージ上で突然「お世話になった会長さんが来てくださいました」と、挨拶をしたそうですね。
相澤「私の顔を見て込み上げるものがあったんでしょうね。彼女、ステージで涙。終わってから楽屋に行ったら、聖子はまた泣いて。僕も「ひとりにしてごめんね」と。それで業務提携という形で、音楽の制作やプロモーションで力になろうという話になった」(2007)
あまり大きくは扱われていないが、北島三郎「函館の女」などの作曲家島津伸男の訃報。
http://mainichi.jp/sponichi/news/20130511spn00m200001000c.html
山田太郎「新聞少年」も子供の頃歌謡曲好きな自分が形成された時期の代表曲の1つ。また「函館…」のみならず星野哲郎とのコンビによるご当地「女(ひと)」シリーズは「薩摩」「加賀」「博多」など名曲揃い。
↓ 「加賀の女」
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