西崎憲『短篇小説日和』『世界の果ての庭』

少しずつ読んでいた西崎憲編『短篇小説日和 英国異色傑作選』(ちくま文庫)ようやく了、に際し文庫化『世界の果ての庭 ショート・ストーリーズ』(創元推理文庫)もこの際再読。(前者は『英国短篇小説の愉しみ』全3巻からの選抜+新訳追加とのことで、そちら未入手なので尚更ありがたし。後者も若干の改稿ある由)

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これは実に凄い。色々考えさせられもした。個人的に重要だったのは最後に『世界の…』を再読したこと。つまりそこまで含めての全容が今現在の西崎憲その人の〈作品〉なのだという思いが大きく湧き上がってきた。勿論『日和』では他の訳者も協力してはいるが、ここではそれらまでが〈西崎作品〉なのだ。小説自体のみならず各作冒頭の西崎氏による解説を読むと一層そう実感する。超有名作家がいる一方で超マイナー(多分)作家も入っているが、解説はそのどちらも詳述を惜しまずしかも独特のエピソードが語られる。それはまるでこれらの解説自体が〈ショート・ストーリーズ〉の1篇1篇として富士谷御杖の逸話と並んで『世界の…』に含められていても何の違和感もないだろうとすら思えるってことだ(富士谷なんて架空の一族なんだろうとあの本初読前の無知なおいらは思ってた)。しかも今回の文庫版『世界の…』についていえば巻末の円城塔による解説までが実にそんな〈西崎作品〉の1篇じゃないかまるで! …そんな全てを包含する空気を創り出す編者によって選ばれた作品群はどれも瑣末なジャンル分けなどとは無縁だ。怪奇とか幻想それどころか文学なんて言葉すらここでは不要かもしれない。ただ〈小説〉という言葉だけ敢えて重要視されるが、その観点は巻末の長い評論「短篇小説論考」に集約される。これがまた凄い、この人の場合到底単なるジレッタントとは違う。つまりペダンチックに見えてペダントリ自体が目的に堕さず、自身の世界表現のための手段に直接収斂されてるところが凄い。つまりこんな難しい論考まで含めて作家としての〈作品〉として供せられているのだまたしても。実作品では個人的にはボウエンの美奇譚「看板描きと水晶の娘」ハートリーの心理怪譚「コティヨン」ディケンズの怪作「殺人大将」(つくづく凄い邦題だ)などがとくに印象濃い。

短篇小説日和: 英国異色傑作選 (ちくま文庫)

短篇小説日和: 英国異色傑作選 (ちくま文庫)

 

 

いつか西崎氏にお会いした折「創作はしないのか」と問われたことがあり、「とても才能なくて」と答えると「翻訳から創作まではあと一歩だと思う」という意味のことをいわれた。でもその〈一歩〉が遠いんだよなーどういう一歩かすら判らんし、とずっと思ってきたが、今回それへの手がかりなりとも何か垣間見えたような──ってのはまた今だけの思いすごしなんだろうなきっと。人様のを読んだだけでそれが判るなら苦労はせんだろうしな。もう一人の名アンソロジスト中村融氏がSFセミナーで「翻訳で自己表現を全てやってるので創作への関心はまるでない」という端的直截をいってて目鱗だったが、どちらも凡人にはなかなか達しがたい境地かも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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