長岡 平和像・他

8/12夜、平和公園の平和像。

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 ここだけライトアップされていたので撮影できた。昼見るのより厳粛な気持ちが湧き、手を合わせた。↓ 反対側から。傾いてしまったため台座カット(像も当然傾いてるが)。一人背を向けて座す少年が印象的。

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この像は長岡駅前・悠久山公園・明治公園など転々としてきたが、目に馴染みがあるのは明治公園。互尊文庫のすぐ前でもあり。↓ これは長岡駅前(旧舎)時代の貴重な写真。

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 ↓ 絵葉書の写真。台座の形が違うので明治公園? にしては木立が…後ろは互尊文庫のはずだが…

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8/13夜アオーレ長岡、空襲展。当時子供だった生存者たちが記憶を元に描いた光景の数々。以前市民センター(元の丸大)地下での展示会で見たが、数の多さにまず驚いた記憶がある。今回はそのごく一部(撮ったのはそのまた一部)。

↓ 『この空の花』に出てきた、誰の目にも一番強い印象を与える1枚。

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 ↓ 上の絵の解説。

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 ↓ 信濃川土手。右遠方長生橋。現在は絵の真ん中あたり(多分)に大手大橋が架かり、夏にはそれを挟んで花火見物会場となる。

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 ↓ 上の絵の解説。

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 ↓ 『この空の花』のはじめのほうで出てきた左近の模擬原子爆弾投下跡の絵。犠牲者がいたというのは映画で知った。

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 余計なことだがうちの父(故人)は「左近の長い土手に因み長生きするように」として左近と名づけられた。戦争よりはるか前の話。

↓ 栖吉川の土手の写真。うちのすぐ裏の川だが、これは無論もっと中心街に近いほうのはず。

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 ↓ 最中心街の焼け跡。中央でわずかに建ち残っているのが大手通の安栄館。当然建て替えられたわけだが現在も安栄館ビルはあり、テナントの居酒屋につい先日従兄夫婦と入ったばかり。

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↓ ややブレたが、『この空の花』で詳しく紹介されてた焼夷弾。戦災資料館には実物大模型や破片(実物)がある。

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 戦災資料館には何度か入ったが、映画のとおり上の階には空襲犠牲者の遺影が四方の壁一杯に貼り巡らされた部屋がある。あそこでは文字どおり死者の霊を感じずにはいられない。ただ映画では途中の階段の映像に悠久山の郷土資料館(模擬長岡城)が使われていたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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