千街晶之『原作と映像の交叉光線』

千街晶之『原作と映像の交叉光線(クロスライト) ミステリ映像の現在形』(東京創元社)を読む。

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488015398

f:id:domperimottekoi:20140724135212j:plain

凄い本だ。きっと凄いんだろうなと思ってはいたが予想をズバッと超えた。ミステリにも映像にも詳しくはないが少なくとも双方のファンとして快哉を叫ぶ。こんな類書はないだろう多分。とくに個人的に共感できる本という部分においてそう思う。「まえがき」で千街氏はこう書く。「完成度の高低にかかわらず、余りにも原作に忠実な(つまり、原作をこのように解釈としたというスタッフの意図が見えにくい)映像化作品は取り上げていない。また、原作と映像を比較する際は、(中略)細部の改変にこそ、映像化に関わったクリエイターたちの意図が籠められている可能性があると考えた(後略)」おそらくここにこそ著者の目的が凝縮されてると同時に、オレ個人の共感の対象が集約されてる。それはネットにせよ活字にせよ〈映像化〉という問題が語られるとき決まって「原作に忠実ならいい作品」つまり原作にどれほど近づいてるか〈だけ〉を作品の優劣の基準にしてる頭の悪い言説がはびこり過ぎてると常々疑問と不満を抱いてきたことに由来する。しかもそれは一般の読者・観客・視聴者よりも所謂ジャンル作家・評論家といったプロの側の人たちにこそ顕著なのだ。だがただ独り(と言っても過言じゃない)千街氏だけは違ってるようだな、というずっと燻らせてきた期待が本書で一気に報われた。例えば「銀色のミスディレクション──『姑獲鳥の夏』」の章の冒頭で著者はついこう口を滑らせてる(というふうにオレには見える)。「全く原作に愛のない踏みにじり方がかえって面白い結果を生むことさえある。そもそも、原作を変えられるのが厭ならば、映画など最初から観なければいいと思う」それを言っちゃあおしまいよ的な一言だが、オレの共感する最たる吐露でもある。但し本書の大部分ではそんな直截な切り捨ては行なわず、専ら原作と映像それぞれの細部の徹底的な検証によってのみ〈映像化〉という行為の真実が描き表わされる、それはもう驚くばかりの細部に亘って!

上述の京極夏彦原作物の章では上の一言の直後に「そう思っている私でも眉を顰めたくなる…」と弁証法的?に展開されて映画版『魍魎の匣』が批判されてるが、未見なので俄然見てみたくなった(実相寺昭雄姑獲鳥の夏』は大好きだが『魍魎』は原田眞人なので何となく敬遠してた)。他にも本書中では未見作のほうが圧倒的に多いが(原作も未読のほうが言うまでもなく圧倒的だが)論の切り口の面白さゆえにどれもこれも「見たい!」と思わせられる、ネタバレの上でも構わない派なので。千街氏のツイッターなどによる平素の映像感想からも判ることだが、とにかくどんな作品からでも何かしらいいところ・美点を見つけ掬いあげようとする〈愛〉のようなものが感じられる。ついつい「こんなくだらんもの見てられるか!」などとエラそうに頭ごなしにするだけになりがちなオレなんかはつくづく見習わないといけない。例えば映画『ミスト』のラストについては個人的には全否定派だが、本書「最も危険な賭け──『ミスト』」の章での精緻な考察を目にすると自分の読みの浅さを知らされる。

竹本健治氏とよくする千街氏についての噂話(千街さんご免なさい!)の中で「マイナーな映画観に行くと彼とバッタリ会うことがときどきある」という竹本氏の言葉が表わしてるようにほんとに目配りの広さは凄いというしかなく、本書収録作はその一端にすぎないだろうが、それだけに精髄でもあるだろう。いやー参った、もうこの人と迂闊にドラマとか語れんかも?… 

 ありがとうございました!