末國善己編『決闘! 関ヶ原』(実業之日本社文庫 8月刊)を読む。
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-55252-1
昨年の『決戦! 大坂の陣』↓ に続く戦国合戦記アンソロジー。
http://domperimottekoi.hatenablog.com/entry/2014/07/23/063146
前書は大坂の陣400周年に因むと同時に来年の大河『真田丸』を睨んでのものだが本書はその好評を受けるとともに関ヶ原の覇者徳川家康没後400周年の意もある由(関ヶ原戦勃発は1600年10月)。大坂の陣が「有力武将が負けを承知で」「華々しく散っていった」「戦国の終焉を告げる」(編者解説より)戦だったのに比し、それに先立つ関ヶ原は出世・繁栄のためなら「手段を選ぶ必要などなかった戦国乱世を象徴する合戦」と言う。それを表わすように謀略・裏切り・内通・間諜等まさに仁義なき内幕がこの天下分け目の大戦(時間的には僅か半日だが)の裏にあったことを各作が物語る。ほぼ時系列に準じて編まれ、とくに戦の全容を長尺で概括した松本清張「関ヶ原の戦」が巻頭に置かれているのが理解の助けになる。例によって大河ドラマでしか歴史を知らない読者としては未知の逸話の連続で目を開かされる。が個人的関心の中心は、『天地人』で重きを置かれた関ヶ原戦の契機となる上杉勢の動向と、もうひとつは関ケ原ドラマで必ず描かれてきた戦の帰趨を決する小早川秀秋の寝返りだ。この2点を作家たちがどう捉えているか──上杉が家康を追撃しなかったのはなぜか、小早川秀秋は本当に稀代の悪将なのか──が一番の知りたい点だった。前者の問いに直截に答えているのが南原幹雄「直江兼続参上」だ。この作では主君上杉景勝が追撃策を戒め最上(もがみ)勢への備え優先を説くと兼続は無念ながらも即座に下知に従う。謙信公以来の家訓(=背後より討つべからず)を説く景勝と好機逃すまじの兼続が一触即発となった大河とは大きく異なるのが興味深い。但し小説としての主眼はその点にはなく、冒頭の伏線と膝を打つ幕切れとが鮮やかなある種トリッキーさが読みどころになっている(タイトル自体もヒント)。一方小早川秀秋については中村彰彦「松野主馬は動かず」が詳しく、これを読むと秀秋が史実でも相当の愚将にして暴君だったことが判る。が眼目はやはりそこ以上に、諸説ある秀秋の死因の謎が探られるところにある(石田三成の亡霊に悩まされ狂死する設定のドラマもあったと記憶)。この上杉と小早川の問題については清張「関ヶ原の戦」も当然触れているが、景勝・兼続の意見対立についてはやはり最上への備え優先説を採っているので史実もそうなのだろう。この点について清張は景勝の策のほうがまともだとしながら追撃案も「面白かったかも」と割とどっちつかずの評価をしている(個人的には徳川が滅んだかもしれないのだから面白いどころじゃないと思うが)。また清張は小早川についても「形成観望して寝返った」と見るのは誤りで早くから内応していたとしているが(それが史実らしく他作もほとんどそう見ている)、「最後まで迷ったかも」とも言っており必ずしも歯切れよくはない。尤もそういう矛盾するかのような見方のほうが実は妥当かもしれない、裏の裏の裏までかくなど日常茶飯事の戦国なのだから。そんな誰も信じられない戦の内幕を描いて最たるのが池波正太郎「間諜 蜂谷与助」。石田三成の右腕大谷吉継の元に15年も(!)雌伏した徳川の間者が主人公で、偽りの主従関係とは言え仮にも主君を裏切らねばならない宿命の厳しさが淡々と語られる異色作。関ヶ原の勝敗は多々因子あれどやはり負けた石田三成の器の欠如を挙げるのが大勢のようで、清張もその点には手厳しく「日本型官僚の典型と見ていた」(末國氏)ようだ。が一方で「近年は三成の再評価が進んでいる」とのことで澤田ふじ子「石田三成 清涼の士」はその文脈からの一篇。ただこの作に関するかぎり人柄論にとどまるのは否めずやはり三成という人を前向きに捉えることの難しさを窺わせる(『軍師官兵衛』での田中圭の憎々しい名演が忘れ難い)。関ヶ原を彩る群像の逸話としては岩井三四二「敵はいずこに」=合戦に遅れた徳川秀忠 大久保忠隣主従の懊悩、尾崎士郎「島左近」=敗将三成に殉じた知将島左近の信義、東郷隆「退き口」=逃走しながらも家名を守った島津義弘の果敢、中山義秀「日本の美しき侍」=宇喜多秀家の敗走に隠された秘話、等いずれも教えられること多し。今年急逝した火坂雅志の「剣の漢 上泉主水泰綱」を巻末に配したのは編者の弔意もあるか。新陰流創始者の孫ながら上杉に仕えた主人公が義に殉じる姿を描くのは如何にもこの作者らしい。シェアードワールド的面白さに溢れた傑作集で今後にも期待(いずれ川中島も是非)。
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