水木しげるを認識したのは『カッパの三平』(『ぼくら』連載 ※こちらは漢字の河童ではなかった由)と思うが…
( ↓ 90年代書籍版。表紙が綴込復刻されている)
初回を見た憶えがあるがもし『ぼくら』だったとすれば1966年連載開始なのでちょうど中学生になった頃。小学生向けの同誌はもうあまり身辺になかったかもしれず(当時は自分所有のと他の子のを借りて読むのと両輪)、ひょっとすると2年後68年連載開始の『週刊少年サンデー』版『河童の三平』である可能性も。がもしそうなら既に中学3年頃ということになるが、もっと早かったような気がするのでやはり『ぼくら』版のほうか。あらためて書籍版読み確認したい。兎に角その初回掲載誌は自分の持ち物ではなかったと思う。検索すると両版ともそれ以前の貸本漫画版(全く未知)とは絵柄がかなり違っている。
『墓場の鬼太郎』のほうが『三平』より早く65年『週刊少年マガジン』連載開始の由。こちらは当初知らなかったように思うが、連載はわずか2年間なので、雑誌掲載のを見た記憶からすると実は『三平』とそう違わない時期か。( ↓ ともに67年の同誌)
水木しげる描く妖怪の中で一番厭な(好きの裏返しでもある)のは山じじい。カラー版もあるが初めて雑誌で見たのはこの白黒図 ↓ 。
ご冥福を祈ります。
.